現在のスピリチュアル業界について、真面目に考えるブログ

泣いて笑って喧嘩して。愛と勇気で突き進むスピリチュアルと占星学の遍歴の記録。

瞑想について その4 マントラ瞑想

スピリチュアルを学び始めた

一番のきっかけは、

ファイナルファンタジー

というゲームだったのだ。

 

すごく人気あるゲームシリーズなので、

やったことがある人も多いんじゃないかな?

 

火地風水のクリスタルが、

エネルギー源な世界

アトランティスみたいね!)

黒魔法、白魔法、

神様や精霊をモンスターとして

呼び出して攻撃させちゃう召喚魔法

あれで、だいぶ

ファンタジー界の定番を覚えたよ。

 

火地風水

四大元素を操る悪の四天王を倒す

バトルのおかげで

エレメンツの相性なんかも

覚えちゃっていたし。

タクティクスオウガなんか、

エレメンツ支配の暦があったり、

自分チームキャラのエレメンツまで決められたからねえ・・。

 

四大元素でバトル戦略を練っていたことが、そのままタロットや占星術につながるとは思ってなかった・・・)

 

FF4の大ボス(結局は中ボスか)

ゴルベーザは、

弟で主役のセシルに対する嫉妬心が、

ゼロムスに付け込まれちゃったわけで・・。

これ、まんまオカルトでいう

憑依現象だよね。

 

スターウォーズのダースベイダー誕生は、

お母さんが殺されてしまったことも

原因だったし、

肉親をめぐる愛憎劇が、

世界を巻き込む悲劇になる。

それを表現した秀逸なゲームだったと思う。

悲劇を負った悪役、

というのが当時は新鮮だったんだよね~。

 

その悲劇は、だいたい家族間で起きていて、

そういう観点からすると、

多くの人に共感できる

テーマだったと思う。

 

だから、

私がスピリチュアルを学び始めたきっかけは

知的好奇心と、

日常生活でのいろいろな悩みや

トラブルを解決したい。

その悩みは、

母親やインナーチャイルド

起因していたものばかりでした。

「あるある!わかるよ、それ!」なネタが多くて。

 

 

それで商売をして大儲け!とか、

霊的成長を追求したい、

なんて微塵も思っていなかったのだ。

 

それが以下のリンクの通り、

想定外の方向に向かって行ったわけだ。

瞑想について。色々調べてみた。その1 - 現在のスピリチュアル業界について、真面目に考えるブログ

インド式は霊性向上の道の王道です。

カリスマ性もすごいよ。

聖人、覚者を続々輩出するだけのことはある。

進化の道のりもきちんと

系統だてられて。

伝統の裏付けもあるし。

医療や教育、福祉まで担う。

師には、
一人ひとりに適した道のりを
先見する力、
弟子によって、
またはタイミングや環境によって
いろんなスタイルで指導できる力
お金や名声への欲の克服が必要だし、
 
 
弟子には、情熱の保持、
柔軟さが必要だ。
 
霊的成長、というものは 
師と弟子がそれぞれ、
お互いの方向性や意識付けを、
丁寧に築き上げながら
ラポールを築いて言ったうえで、
初めて可能になることなんだと思う。
 
恐れでいっぱいの弟子と、
支配欲に犯された師。
こんな師弟関係は霊性の低下しか招かないだろう。

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師を見つけることの重要さを、本から紹介します。

 

瞑想ヨーガ入門

瞑想ヨーガ入門

 

(上記 瞑想ヨーガ入門より) 

おとし穴6 「タントラ」(主に後半;師について)

  

これまで瞑想を進めていく際に、

「柔」の3要素(欲する、感じる、認める)の

バランスを欠いて引き起こされる不調や問題点について

私の失敗談を紹介してきました。

最後の落とし穴は少し趣向が違い、

 ヨーガの実践スタイルに関わるものです。

ヨーガは大別して、2つの実践スタイルがあります。

1つは顕教(スートラ)

といわれるスタイルで、

もう1つは密教(タントラ)

と言われるスタイル。

 

スートラとタントラは

縦糸と横糸の関係にあり、

本来は両方がバランスよく織り込まれて

初めて美しい1枚の布に

織り上げられるのですが、

多くの場合、

その比重に偏りがある形で実践されます。

スートラは、地道な実習によって行を進め、

その目的や方法論などを理解しながら

少しずつ成果を積み上げていく

というスタイルで、

特定の師につかず行う際に適しています。

 

一方タントラは師の強引なまでの

指導力によって

テクニカルな実習をすすめ、

呪術的な儀式などを経て、

一足飛びに行を進めていくスタイルです。

 

前者はトレーニング、

実践というスタイルですが、

後者は宗教、修行というイメージが強く、

問題となるのは後者のケースです。

 

やり方を間違うと

問題が起きるものもあれば、

その行に対して、師から適切な意味付けや

方向づけが行われないと意味がないもの、

あるいは逆に危険なものまで存在します。

ですから、ものの本でタントラの行法が紹介されているとすれば、

表面的に行っている場合は問題ないですが、

本格的に実践するとなると、

問題が生じることもあり得ます。

 

信頼できる師による適切な指導があれば、

深いレベルまで短期間で到達できるようになりますが、

この枠組みが利用されて、

良からぬ方向に導かれることも少なくありません。

師の心中ひとつで、どのようにも方向づけられることが可能だからです

 

かといって、

師に対して疑いの目を持っていては、

いつまでたっても

タントラの良い部分が引き出されず、

絶殻の行も思うように深まりません。

ですから、「柔」の3要素(欲する、感じる、認める

のバランスが保てるか、

なにか欠落していることは

ないかということを

師を見て最初に確認しておくことが

必要になります。

いくら素晴らしいことを言っていても、

その師本人が

まったく実践できていないようであれば、

良い方向へひっぱっていって

もらえないでしょう。

師の人格や行動と、

その人によって調整させる方向を

切り離して考えることは不可能なのです。

表面的にすばらしい人であるとか、

単に有名だとか親切だ

というようなことではなく、

本質的に人をみることが大切になると言えるでしょう。

 

この枠組みが利用されて

良からぬ方向に導かれることも少なくありません。

師の心中ひとつで、どのようにも方向づけられることが可能だからです。

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3週間くらい前に、

辺見マリさんの拝み屋洗脳が放映されたけど、

あれは、だまし取るのを前提として、

騙される方が気付かないくらいに、うまいこと仕組まれたものだったけど、

 

非常に質の悪いタントラ教師の場合は、

自分はいいことをしてる、

と思ってる場合さえある。

生徒さんも、グルに翻弄させられてこそ。

ブロックを外すチャンスとばかりに。

むしろ、グルの揺さぶり、

大歓迎みたいな雰囲気になるのです、

 

 

「様々な苦境は、不二一元性(ノンデュアリティ)、

一元性だから自分が起こしてるんですよ」とか、

「これはただのストーリーです」とか。

タントラ教師が言ったことを

生徒はそのまま受け入れるしかない。

 

たちの悪いタントラ教師は、

ノンデュアリティを自分に置き換えられなくなる。

目の前にいて、

苦境を訴える生徒さんがいる。

その生徒さんは、

教師自身であるはずなのだ。

そこを自覚して、

常に自分を内観し続けている教師は

どれくらいいるんだろうか・・・・。

 

超越瞑想 - Wikipedia

 

日本でも盛んである

超越瞑想系のスピリチュアルは、

・インド発祥

・西洋的マーケティングの影響を受け、限られた人のものであった秘儀を

誰でもお気軽に簡単に学べるものに、結果的にしてしまった。功罪あり。

・アメリカに本拠地を移し、巨大コミュニティまで形成し、

60~70年代のヒッピーブームのけん引役だった。

・2015年現在を見ると、

ノンデュアリティ・アドヴァイタの教えは

結局はうまく伝わってないのが現状だと思う。

悪用ばかりが目立つ。

 

これだけ、

世界のいろんな文化や習慣を経て、

一つの体系としてまとまった超越瞑想は、

リラックスや、目的・ビジョンを見る効果は

とても高いと思うけど

悟れるか、とか、チャクラが覚醒する、とかは、

未知な部分が多いんじゃないかと思う。

 

伝統的ヒンズー教の要素を

あちこちにちりばめているが、

歴史と実績は浅い新興宗教に

入るのではないだろうか。

 

ノンデュアリティの教えは、

良いタントラ教師に巡り合って

行を積んだ人、

もしくは、

スートラで霊的知識を高めてきた人が、

経験と学びの継続、日々ノンデュアリティを内観できるようになって。

日常生活すべてを行ととらえ、

人間だからこその、

喜怒哀楽を味わいながら

初めて身につくことだと思う。

 

 だから、もしやるんだったら、

伝統的密教の体系の中で、

タントラとスートラをバランスよく学ぶのが

一番安全で、早道なんじゃないのかな。

 

伝統は、それだけの効果、実績があったからこそ

伝統なんだと思うので。

(やぎ座っぽい価値観だな~、やぎ座に感受点てんこ盛りなので。)